地球PF運用ブログ

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宅建物語

私の祖父は生前「不動産賃貸業」をしており、家賃収入で生計を立てていました。小規模なものですが、おかげで私たち家族もずいぶんと救われました。現在は母が、祖父から受け継いだ不動産の経営を切り盛りしています。とはいえ、建物はどれも相当古く、借り入れもあり、なかなか楽では無いようです。生前の祖父は、自分の代までならともかく、この事業が子や孫の代まで持つことは無いだろうと考えていました。そこで、いつかは不動産の売買や仲介にも手を広げられるよう、家族の誰かに宅地建物取引士(旧宅地建物取引主任者)、いわゆる「宅建」の資格を取らせたがっていました。

母は父と離婚した後、私たち兄弟を育てるために不動産会社で働き始めました。そこで宅建の資格取得を志すようになりました。祖父から言われたわけではありません。うろ覚えですが、宅建を取ることで毎月の給料に加算される資格手当が目的だったと思います。母は資格スクールに通って勉強し始めました。ところが、当時の宅建には受験資格が定められていました。それは「高卒以上」「実務経験2年以上」のいずれかで、母はどちらも満たしていませんでした。そこで母は、まずは高卒資格を得ようと、通信制高校に入学しました。この時点で、母は「子育て」「仕事」「学校」と、二足の草鞋ならぬ「三足の草鞋」を履いていたのです。

通信制」と聞くと直接学校に行く必要は無いように思えますが、実際には定期的に登校する必要があります。母は同校で若い男性と知り合い、付き合うようになりました。その男性は元暴走族だそうで、気さくな人でした。実は私の父も暴走族の元総長で、母はレディース(女性版暴走族)でした。似た者同士、気が合うのかもしれません。弟は母の新しい彼氏を嫌っていました。母と彼氏が別れた後、弟と母元彼とは何やらひと悶着あったようです。

それはともかく、母は彼氏と共に通信制高校を辞めてしまいました。一方、宅建の受験資格は完全に撤廃され、誰でも受けられるようになりました。つまり、高校を辞めてしまった母でも受けられるようになったのです。しかし、既に母の頭に宅建の2文字は無く、宅建取得の野望はここに潰えました。

それから数年後、色々あって弟が刑務所に入りました。当時は弟本人も、私たち家族も、「弟は出所後にどうやって生きていくのか」と頭を悩ませていました。そんな中、最も現実的なプランとして「祖父の不動産経営を手伝う」という案が出ました。実際に祖父の会社の役員になってもらい、報酬が出るようにします。そのために、刑務所では不動産の勉強をしてもらいます。母か私のどちらが言い出したのか覚えていませんが、「それなら宅建がちょうど良いんじゃないの?」という話になりました。弟は「刑務所では読書くらいしかやることが無い」と言っていました。また幸いなことに、上記のとおり宅建の受験資格は既に撤廃されており、弟でも受けられます。母が弟にこのプランを手紙で打診したところ、弟は「すぐに宅建の本を差し入れてくれ!」と非常に乗り気でした。宅建取得の野望がここに復活し、母から弟に引き継がれた瞬間でした。

しばらくして、母と私は弟と面会するために府中刑務所に行きました。「ところで宅建の方はどう?」と尋ねると、「いや、もうね、1ページ目で頭が痛くなって無理だった。はっはっは」と豪快な回答が返って来ました。元気そうで安心しました。やがて弟は刑期を終えて、無事出所しました。

ところが出所後の弟は、将来の不安もあってか精神的に非常に不安定で、激昂して母に包丁を突き付けたり、部屋に消火器を噴射したりと、とんでもない状態でした。自分の太ももに包丁を突き刺してしまい、私がタクシーで弟を救急外来に連れて行ったこともありました。「このままでは誰か死ぬかもしれない」ということで、止む無く措置入院の手続きを取り、弟は精神病院に入ることになってしまいました。

退院後も色々と大変でしたが、やがて「今後は自分を表現していきたい」と、弟なりに目標が定まったようでした。後に弟はこれを有言実行し、私から見れば十分な成功を収めたと思います。何はともあれ、家族に久々に一筋の光明が差しました。この激動の日々の中、弟の頭には言うまでもなく、いや、母や私の頭にも、既に宅建の2文字など無く、宅建取得の野望はとっくに潰えていました。

その頃の私はうつ病で休職中でした。といっても、うつ病の方はだいぶ回復していました。ところで、少し前に祖父はPCを購入していました。しかし使い方が分からないということで、私は祖父宅にちょくちょく通っていました。余談ですが、祖父にWindowsの「フォルダ」について解ってもらうために、「ほら、現実でもファイルフォルダーに書類の束を入れたりするでしょ。ここに表示されてるフォルダもそれと同じで、ファイルの入れ物なんだよ」と説明したところ、祖父は「うーん、これ目録なの?」と、私の説明を飛び越えて、どちらかと言うとUNIXディレクトリの概念に近いところまで勝手に到達しました。「これなら俺が居なくても、一人でカチャカチャ触ってれば覚えるんじゃないだろうか」と思ったものです。

ある日、祖父宅からの帰り際に祖父から呼び止められました。そして、何の前触れもなく「なあ、もうお前が宅建取れよ」と言われました。なんと、祖父はまだ宅建を諦めていなかったのです。最初に母が取得を志してから、もう10年くらい経っていたと思います。宅建取得の野望がここに復活し、とうとう私のミッションになってしまいました。

その日のうちに宅建試験のWEBサイトを見ると、ギリギリで申し込みに間に合うタイミングでした。私は急いで顔写真等を用意して申込を済ませました。しかし、その後は特に何もしませんでした。ちょうど休職期間の終盤で、復職に向けてバタバタしていました。またこの時、自分の中で「地球株」の理論が固まりつつあり、その根拠になりそうな本を探して読んだり、アイデアをメモにまとめる作業に追われていました。復職前にメモ化を終わらせることが私にとって最優先事項でした。実は、この当時のメモを基に、運用中に一部加筆・修正したものが「お金と労働と地球株 ~無能が30代で資産1億円を達成した方法~」のWEBサイトです。

そうこうするうちに、試験日まで残り1週間を切ってしまいました。「もう来年で良いか」とも思いましたが、その頃には激務に戻っていて、私の頭に宅建の2文字など無くなっている可能性が高いです。そうなると、宅建取得の野望はいよいよ完全に潰えます。私は実家へ行き、母から「例の本」を借りました。例の本とは、もともと母の手元にあったものの役立ててもらえず、弟のために刑務所へ送られ、1ページも読まれることなく実家に戻ってきた、いわくつきの宅建参考書です。ハリー・ポッターの「名前を言ってはいけないあの人」にちなんで、私はこれを「例の本」と呼んでいるのです。正式な書名は忘れました。

さて、おそるおそる例の本を読んでみると、、、これが意外と面白いのです。宅建とは結局のところ法律の試験です。私はこれまで技術系の勉強を中心にして来ており、法律の勉強に触れたのはこれが初めてでした。そのため、民法などは「こういうルールになっているのか」と興味深かったです。しかし面白がっている時間も無いので、取り急ぎ「試験対策用」の勉強に終始し、試験に臨みました。

点数は覚えていませんが、満点近くで合格できたと思います。祖父に「受かったよ」と報告すると、祖父は「良くやった」とニンマリ笑いました。こうして、私たち家族と宅建との長きにわたる戦いに終止符が打たれました。

後に祖父が言うには、やはり一番は母に宅建を取ってもらいたかったそうです。何と言っても、祖父の仕事を引き継ぐのは母だからです。二番目が弟です。もし何もすることが無いなら不動産経営を引き継げば良いし、そうでなくても、資格の一つでも持っていれば何かに役立つだろう、という配慮でした。一方、私には宅建なんて要らんだろう、ということでした。既に他の分野で働いていたからです。ところが、母も弟も完全にやる気を無くしたことが分かり、もう私しか残っていませんでした。

しかし宅建を取ったと言っても、何しろ短期間で頭に詰め込んで試験を受けただけなので、1か月もしないうちに綺麗サッパリ内容を忘れてしまいました。現在NHKで「正直不動産」という不動産屋のドラマが放送されていまして、これを見ているとフラッシュバックのように断片的に、当時勉強したことの一部を思い出します。今の仕事にも一切役に立っていません。メリットと言えば、それこそ正直不動産をより面白く見れるくらいです。

祖父の死後、母が不動産経営を引き継ぎました。その母も「そろそろ少しずつ引き継いでいきたい」と言っています。弟は自分の活動で忙しくしており、その気は無いようです。いつか宅建を役立てられる日が来るかもしれません。

 

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