地球PF運用ブログ

2億円の「地球ポートフォリオ」で地球全体の資産を運用する氷河期リーマンのブログ

超能力開発ゲーム「マインドシーカー」

初めて「お題」に沿った記事を書きます。これまでに「ハマったゲーム」ということで、小学生の時にハマった「マインドシーカー」について取り上げます。このゲームは、かつて超能力少年として一世を風靡した清田益明氏監修の「超能力開発ソフト」です。1989年にファミコンソフトとして発売されました。

超能力開発といっても、いわゆる「ゲーム内のキャラクター」の超能力を開発する、といった類のものではありません。プレイヤー「本人」の超能力開発を目指しています。非常に斬新なコンセプトで、同ジャンルのゲームは後にも先にもマインドシーカーしか存在しないと思います。

本作は伝説のクソゲーとして名高いため、聞いたことがある方も多いかもしれません。しかし、私はクソゲーとは思わず、人生を変え得るゲームになるかもしれない、と思いながら本気でプレイしました。当時の私は、UFOや心霊現象、そして超能力をはじめとした超常現象に強い関心を抱いていました。キリスト教でもないのに、というか無宗教なのに、新約聖書の「ヨハネの黙示録」にだけはやたら詳しい、かなり痛い小学生でした。

はじめてマインドシーカーと出会った時のワクワク感は今でも忘れません。「ゲームで超能力開発って(笑) 、、、いや、でも、もしかすると」といった第一印象でした。デスノートを拾った夜神ライトみたいな心境かもしれません。

ゲームは、超能力のトレーニングセンターみたいなステージからスタートします。当時のファミコンソフトにしては、グラフィックも音楽もしっかりと作られています。ナビゲーターとして、清田益明氏を模した「エスパーキヨタ」がプレイヤーをサポートしてくれます。実物よりもだいぶ美化されている気がしないでもないですが、頼りになるマスターです。

記憶が少々曖昧ですが、確か最初にオリエンテーション的な意味合いで、ゲーム内でイメージトレーニングみたいなことをします。私はこのとき、早くゲームを進めようとAボタンを連打しました。するとエスパーキヨタから「こら、ズルするな」みたいに怒られました。これを見て、私は「このゲームは本物だ」と確信しました。そして、超能力を開発しようと真面目にゲームに取り組みました。

センターでは、念力、予知、透視をトレーニングして、卒業試験を目指します。念力は、画面上のランプを点灯させるべく、念じながらAボタンを押します。予知は、複数のランプから点灯するランプを当てます。透視は、5枚のカードから正解のマークを当てます。つまりこのゲームでやることは、ひたすらAボタンを押すだけです。

ゲームとしては非常に単調ですが、私は真面目にプレイしました。真面目にプレイするとは、たとえば念力であれば、Aボタンをただ闇雲に連打するのではなく、念を込めて「……今だ!」ってタイミングでAボタンを押します。今にして思えば、ゲーム内のランプを点けるのに念力もクソも無いんですけど、当時はこんな調子で大真面目にプレイしていました。何しろ超能力を開発しようとしているんですからね。一球入魂ならぬ「一押入魂」です。

ここではまた、意識のバイブレーションを高めるために「めいそう」を行うことができます。マインドシーカーは終始胡散臭いゲームですけど、この「めいそう」はなかなか良いんですよ。宇宙空間に浮かんだ丸い物体を眺めるだけなんですけど、気持ちが落ち着きます。音楽も絶妙に良いです。今で言うところの「マインドフルネス」みたいなものだと思います。本当に時代を先取りし過ぎたゲームです。ただし、この「めいそう」によってバイブレーションが高まるのかどうかは分かりません。そもそもバイブレーションが何なのかも分かりません。ちなみに、私はゲームの指示に従い、「めいそう」するときは現実の部屋の電気を消して取り組みました。

さて、センターの卒業試験に合格すると、晴れて街に繰り出すことができます。街の名前は「サイシティ」。住人はもちろん全員超能力者です。ここでは、住人から「あなたのバイブレーションを見せて」等と言われて、プレイヤーの超能力を試されます。やることは、センターでの作業とそれほど変わりません。また街にはカジノ(サイランド)があって、超能力を使ったミニゲームを楽しめます。

そうこうするうちに、レベル(サイレベル)が上がっていきます。レベルが上がる毎に、エスパーキヨタがありがたくも意味不明なアドバイスをくれます。今後はエスパーがどんどん増えるとか、宇宙意識体が云々とか、そんな感じの内容です。どれもこれも訳が分からないんですけど、当時はそれらをノートに書き写したりしていました。とんでもない黒歴史です。

そうしてサイシティで超能力の武者修行に邁進する日々を過ごしていたところ、ある日、とうとうレベルが「∞」になったんですよ。エスパーキヨタからも正式に超能力者として認定されて、私はもうテレポーテーションできるレベルだということでした。私は歓喜しました。

そして、最後のステージ「パワースポット」に(ゲーム内で)テレポーテーションし、最終試練に挑みます。最終試練は念力で扉を開けたり、複数の扉から本物を透視したり、といった内容です。これが非常に難易度が高く、何度も挑戦して、ようやく突破しました。

クリアすると、エスパーキヨタから最後の言葉を託されます。これまた、「宇宙はバランス」「存在は直感の代名詞」「言語は波動の定着」等々、今までのアドバイスより更に意味不明です。しかし、ここまで物凄い時間と労力をかけてきたので、この世の真理に到達した思いでした。「私はなんて遠くまで来てしまったのだろうか」と、しばらく感慨に浸りました。こうして膨大な時間をかけてマインドシーカーをクリアしましたが、超能力は一切発現しませんでした。

やがて、残念ながら超能力者になれず、マインドシーカーのことも完全に忘れ去って大人になった私は、普通に一般人として一般企業に就職しました。その頃、本物のエスパーキヨタは「脱・超能力者」を宣言しました。さらに数年後、追い打ちをかけるように、同氏はある事件で逮捕されてしまいました。そのニュース報道を見て、記憶の底に沈んでいたマインドシーカーを思い出しました。ちょうど同時期に、私の弟も同じジャンルの犯罪で刑に服していましたので、マインドシーカーの思い出と共に妙に感慨深いものがありました。ちょっとしたシンクロニシティと言えるかもしれません。いや、言えないか。

私はおっさんになった今でもよくゲームをプレイします。これまでRPGゲームを含めて色々なゲームをプレイしてきましたが、クリアに数か月を費やしたゲームはマインドシーカーだけです。直近でクリアした、比較的プレイ時間が長いゲームはドラクエ11です。ドラクエ11は大変面白く、個人的には歴代のドラクエシリーズの中で最高の出来栄えだと思います。100時間以上を費やしてやり込みましたが、それでもマインドシーカーのプレイ時間に比べたら全く大したことない時間です。

しかし、今や忙しい社会人であって、有り余るほど時間があった小学生時代とは状況が異なります。ゲームは本来「楽しかった」「面白かった」「良い体験ができた」というだけでも十分だと思っています。でも大人になった今では、ゲームに対して面白さ以外の付加価値、あるいは費用対効果を無意識に求めてしまいます。つまらない大人になってしまったものです。今回のお題と共に紹介されている「エンジニア騎士とクエリの魔女」は、おそらく楽しみながらプレイして、リアルなプログラミング能力が高まる、といったゲームなのでしょう。大人のゲーム需要に応えた作品だと推測します。

その意味では、マインドシーカーも楽しさ以外の、プレイヤー本人の能力アップを目的とした、稀に見る有意義なゲームになり得たはずです。それが今では、ほぼ全会一致で「伝説のクソゲー」として評価される、希代のクソゲームと化してしまいました。まあ、ゲームの目的たる超能力が全く開発されないのですから、仕方がないかもしれません。当時の私は、ジャンルの選定を間違えたかな。。。

 

【姉妹サイト】

お金と労働と地球株
~無能が30代で資産1億円を達成した方法~

paiza特別お題キャンペーン「私がハマったゲームたち」

paiza×はてなブログ特別お題キャンペーン「私がハマったゲームたち」「ゲームでプログラミング力を試してみよう」
by paiza