先日、誕生日を迎えました。わーい、パチパチパチ。ちなみに私は氷河期世代です。この歳になると、なかなか素直に誕生日を喜べません。若い頃は単純に嬉しいだけでしたが、近年は死への道程を着実に歩んでいるなと実感しますね。
昨日は実家近くのイタリア料理店で、母にイタリア料理をご馳走になりました。普段は割と質素な食事なので、パスタやピザ、ステーキ等々、大変美味しかったです。大満足でした。ありがたいことです。
ところで誕生日プレゼントについて、うちではルールというか、ちょっとした習慣があります。プレゼントを貰う側が事前に欲しいモノを申告し、プレゼントする側は指定されたモノを買います。時には品番単位で商品が指定されます。うちの家族は、というか私と私以外の家族とでは、価値観や生き方がかけ離れているために互いの関心分野がよく分からないのです。
もう1つ、私自身の問題があります。昔から物欲が弱く、これといって欲しいものがありません。たまたま誕生日直前に必要なものが生じたり、壊れていたりすれば良いのですが、そうでなければ特に何も要りません。たとえば母や弟はオシャレなので、服や時計など、その時その時で欲しいモノがいくらでもありそうです。逆に私はファッション等に全く関心がありません。そのため、以前はスーツや靴など、仕事に必要なモノをプレゼントしてもらったりしました。
今年は何をリクエストしようかと考えていました。現在は在宅勤務なので、スーツや靴の必要性も薄れてきました。また今後FIREすれば、スーツ等はいよいよ完全に不要となります。室内に目を向けると、掃除機のバッテリーが劣化してきていますが、まだ十分に使えます。強いて言えば「現金」か「地球債」が欲しいところですが、プレゼントしてもらうような対象ではありません。色々考えましたが、ついに当日まで何も思い浮かばず、プレゼントは保留となりました。
なぜ物欲が弱いのか、自分でもよく分かりません。何も精神的な充足を求めているとか、ミニマリストを志向しているとか、そういったこともありません。ただ、結果的にモノが少ないので、ミニマリストのような部屋になっています。
最近の物欲の弱さは、おそらく投資していることと無関係ではないと思います。投資を初めてからは「モノより株」といった、人生にとって良いのか悪いのか分からない価値観に傾いています。物欲が更に弱ってしまった代わりに、株欲(?)が強くなってバランスが取れているのかもしれません。
あるいは、もっと根本的なところで、単に無気力なのかもしれません。物欲がないのは知足者富のようで一見良い事のようにも捉えられますが、それが無気力由来なのであれば逆に問題です。ある歌の歌詞で「あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい」といったフレーズがあったかと思います。この歌詞のような人間の方が、本来は自然であり、魅力的であり、とてもエネルギッシュで、ほぼ確実に人生をエンジョイしていることでしょう。
必要かどうかといった視点だけに囚われず、何か欲しいモノ、自分が楽しめるモノを、もっと貪欲に探求してみたいと思います。
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