地球PF運用ブログ

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人生を積分

以前、家族とのバックグラウンドの違いから一部の言葉が分からなかった、といった記事を書きました。

chikyu-pf.hatenablog.com

先日もツイッター上で「パチキ」という言葉が出て来て、これが頭突きの意味であると知りました。日々勉強ですね。おそらく「シャバい」も「パチキ」も、あまり使う機会は無いでしょうけど。いや、「シャバい」は意外と使い勝手が良さそうなので、今後使うかもしれません。

ある集団で当たり前に使っている言葉が、別の集団では通じない、ということは良くあると思います。色々な言葉が思い浮かびますが、私が気になっているのは「日常会話に用いられる数学用語」です。たとえば以下のようなものです。

 

日常会話に用いられる数学用語の例

  • Aさんとも「ベクトル」合わせといてね
  • 合意形成を優先した「最大公約数」的な提案です
  • それじゃ「指数関数」的にパターン増えちゃうよ

この他にも「期待値」「因数分解」「連立方程式」等が挙げられます。

 

いずれも本来の数学的な意味とは微妙にズレて用いられます。たとえば「ベクトル」とは、数学では「大きさ」と「向き」を持つ量のことです。このうち、日常会話では「向き」だけが採用されていて、何となく「方向性」くらいの意味合いで使われています。数学をしっかり勉強した人からすれば、少々モヤモヤする言葉の使い方かもしれません。

それでも、一般にこれらの表現は相手に通じると期待できます。なぜでしょうか。日本では多くの人が、ほぼ例外なく学生時代に初歩的な数学を勉強してきたはずだからです。たとえ文系だったとしても、これくらいの用語であれば問題ありません。

あまりにも当然で、普段は意識すらしないことだと思います。しかし、それが当たり前ではない世界もあります。ぶっちゃけた話、もし私が家族にこういった表現を用いて普通に話したら「こいつ何言ってんだ?」といった反応をされてしまうかもしれません。私が「シャバい」や「パチキ」の意味が分からなかったのと同じです。

大阪に転勤していた頃、よく同僚3人でお昼ご飯を食べていました。ある日、「人生のピークはいつだったか」といった話題になりました。私は「やっぱ大学時代ですかねー。社会人になってからは、限りなくゼロに近い高さで低位安定ですw」なんて冗談(?)を言っていたと思います。すると1人が「私も大学時代ですけど、人生を積分してみると、、、」と言い出しました。

私ともう1人は「人生を積分」の意味が分からず、一瞬の間が生じました。そして、「えーと、、人生、積分しちゃうんですか?」「すみません、ていうか、そもそも積分てどんなんでしたっけ?」「微分の逆でしたよね。その微分も忘れてますけどw」「なんかニョロっとした『S』の記号しか憶えてないw」などと言いながら笑い合いました。

微分積分、もはや懐かしい響きです。積分を使うと、任意の関数を使って囲まれた領域の面積を求めることができます。ランチ中には分かりませんでしたが、おそらく同僚が「人生を積分」で表現したかったことは、産まれてから現在までの、人生の充実度のトータルみたいなものだと思います。あまりにも馴染みのない表現で、さらに積分の概念もきれいさっぱり忘れてしまっていたので、当時は意味が分からず面食らいました。

この同僚は元研究員です。有名な理系大学の大学院を出て、うちの会社の研究所に勤めていました。彼にとっては微分積分など朝飯前で、もはや日常的な概念なのかもしれません。一方、私ともう1人は「受験が終わったら微積なんて忘れた」という人間でした。一応私も大学院を出ているのですが、これはもう、ちゃんと勉強・研究してきた人間との差としか言いようがありません。

ダイバーシティの受け入れが求められる時代です。今後も色々な文化、言葉を受け入れていきたいと思います。

 

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